小説家・真山仁さんインタビュー【第1回】小説『黙示』で描いた日本の食と農業の未来

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旬八大学は「食と農の学校」です。

食や農業を基盤とする仕事をしたいと思いつつも、なかなかきっかけがつかめない。

私たちは、そのような方たちの一歩を手伝う、講座や情報を提供していきたいと考えています。

 

その一つとして、これからインタビュー企画を行っていきます。

食や農に関わる仕事とは、農産物の生産から消費までの各プロセスにあり、多様です。

どのような職業があるのか。

どうしたらそのような職業に就けるのか。

アグリビジネスの弊社で働いている私も知らない仕事がたくさんあるのですが、幅広い目で「食と農」の業界を見て、それらのプロフェッショナルに話を聞いて行きたいと思っています。

 

第一回となる今回のゲストは、小説家の真山仁さんです。

 

mayama_2013

  真山仁さんのプロフィール

 1962年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業後、新聞記者、フリーライターを経て、2004年に企業買収をめぐる熾烈な人間ドラマ『ハゲタカ』で小説家デビュー。同作はNHKでドラマ化され大きな話題となった。その後も「ハゲタカ」シリーズである『ハゲタカⅡ(『バイアウト』改題)』『レッドゾーン』『ハゲタカ グリード』『ハゲタカ外伝 スパイラル』を発表し、いずれも大ヒットとなる。

 その他にも、エネルギー問題に切り込んだ『マグマ』『ベイジン』、政界の光と闇を描いた『コラプティオ』、東日本大震災の被災地を舞台にした『そして星の輝く夜が来る』『雨に泣いている』など、幅広いテーマの作品を発表している。

 また、農業についても関心が高く、初の短編集『プライド』や長編『黙示』で、農業の可能性から食の安全までを取り上げた。

 最新作として、選挙の舞台裏を赤裸々に暴いた『当確師』、大震災からの復興と現実を考える『海は見えるか』がある。

 2013年に刊行された長編小説『黙示』で、真山さんは「日本の農業と食の安全」をテーマとして取り上げられました。

『黙示』書影

  農薬を散布中のラジコンヘリが暴走して墜落、近くにいた小学生の集団が高濃度の農薬を被るという事故が起きるところから物語は始まります。

 この事故をきっかけに農薬開発の責任者、新型農薬によって多くのミツバチを失った養蜂家、さらには農業を産業化すべきだと考える農水省の若き女性キャリアが出会うことで、各人の立場と価値観を衝突させながら食の安全と農業の未来を深く考えていくことになります。

 食の安全と農業に関わる問題に対する価値観は多様です。多様で異質な考え方の存在を認めた上で、現存する課題に向き合うこと。旬八大学は、食と農業に対してそのような立場のメディアでありたいと考え、今回真山仁さんへのインタビューを行いました。(担当 矢島)

 


 

農薬にまつわる問題の複雑性—正しさとは何か

 

――農業を軸にした小説というのはとても珍しいと思うのですが、まず初めに、なぜ農業をテーマにした小説を書かれたかをうかがいます。

 

 この『黙示』の前に私は「ミツバチの消えた夏」(『プライド』所収、2010年刊)という短編を発表していますが、この作品が発展して『黙示』になったといえます。

 では、なぜ「ミツバチの消えた夏」を書いたのかということですが、この頃盛岡の親しい養蜂家からミツバチが次々に失踪していると相談を受けました。どうやらコメに撒かれる農薬が有機リン系からネオニコチノイド系に変わったのが原因らしいのです。このネオニコチノイド系は昆虫の神経に働きかけて帰巣本能を混乱させてしまう薬剤なんですね。

 ミツバチは巣とミツを採集する地点との往復分しかエネルギーを蓄えないので、迷子になるとそのまま死んでしまうのです。本来ならば薬剤を変える場合は、農家から養蜂家に連絡があるのですが、この時は予告なしに変えられてしまいました。

 それでミツバチの被害が増えたようなのですが、ネオニコチノイド系がミツバチの失踪の原因というはっきりとした物証がなかったため、メディアでもあまり話題になりませんでした。それなら小説で世間に知らせたいと思って書いたのが、この「ミツバチの消えた夏」です。

 

――それでは、この「ミツバチの消えた夏」の後、『黙示』を書かれるに至った経緯とはなんだったのでしょうか。

 

 まず一つとしては、「ミツバチの消えた夏」を書くために取材や資料を調べていくうちに、「なぜ農産物栽培に農薬を使わなければならないのだろう」という根源的な疑問を持つようになったということです。

 農薬をめぐっては、人体に危険だから絶対に使ってはダメという意見と、農薬は必要だという二元論がありますよね。

 確かに農薬は、殺虫剤ですから、高濃度になれば人間の体にも有毒なものも多い。あるいは、『黙示』の冒頭のような事故が起きれば重大な被害が出ます。しかし、農家はその取り扱いを厳重にしており、散布中に死亡事故が起きたという話も聞きません。

 農薬を気にする人は、残留農薬の管理が杜撰だと指摘しますが、実際には、出荷した農産物に規定以上の残留農薬が検出されると、出荷した農協全体が出荷停止になるなど厳しい罰則規定もあって、杜撰なことをしていると農家の死活問題になります。

 

――「農薬は危ないけど、必要悪だ」という人もいますが。

 

 農業関係者は、農薬を農業に欠かせない「資材」と呼びます。必要悪という概念はありません。なぜなら、農薬がなければ、安定供給や消費者が求める味の追求ができないからです。

 安全性は重要だが、その一方でわれわれは、農産物に形や色、価格、さらに常に年間を通して安定した供給を求めています。でもそれは農薬を使わなければ難しいわけで、有機栽培だけではとても消費者のニーズに応えることはできません。

 敢えて言えば、農家の立場に立てば、消費者が農薬の使用を求めているという論も立ちます。

 これも、取材で知ったのですが、農作物は害虫被害に遭うと、形状だけではなく味も落ちることもあるそうです。つまり作物のおいしさが、虫に食われることで流出してしまうからだそうです。

 形状も色も艶も味も気にせず、現在よりも高価になり、なおかつ品薄でもいいと消費者が言うなら、作る側も考えよう、そう話す農家もいます。

 したがって、一概に農薬は悪だ、今すぐやめよというのは、一方的な理屈を押しつけることにならないかと考えました。

 それよりも、農薬を適正かつ安全に利用しながら、消費者のニーズと満足を満たす農業の微妙な立場こそ浮き彫りにすべきだろうと考えたのです。

 

――農薬問題もそうですが、『黙示』は文明社会が抱える複雑な問題を描いているようにも思えました。

 

 私達は、科学が積み重ねてきたハイテク社会の中で生きています。

 本来の自然そのものを探す方が大変で、例えば農業でも農薬以外にも化学肥料や農作業の機械化などもその例でしょう。また、最近ではGMO(遺伝子組み換え作物)の普及(国産の牛豚鳥の飼料の大半はGMOによる輸入品)による安全性も問題になっています。しかし、例えば作物の品種改良もまた、本来の作物が有していた個性を人間のニーズによって変化させたわけで、私達は後戻りできないほどの科学文明の恩恵を受けて生きています。

 東日本大震災による原発事故で、発電方法についてもずっと議論されていますが、これもまた最先端技術の恩恵に浴して、事故までは普段利用している電気がどのように生まれてきたのかなど、気にもしていませんでした。それほどまでに私達は、ハイテク社会に生きることに違和感をもたなくなっています。

 それを非難するのではなく、私達はどういう社会で生き、どんなリスクを抱えているのかを知った上で、思考を巡らすというのも本作の楽しみの一つかも知れません。

 

——作品中で印象的だったのは、どの問題にも正解がない点です。異なる立場の三人がそれぞれの正義を求めて物語を進めていきますが、誰が一番正しいのかは示されていません。

 

 取材では養蜂家をはじめ、農業関係者、農薬メーカーの開発担当、農水省の担当者、農薬被害を訴えている医師など、様々な立場の方にお話を聞きました。そのとき面白かったのは、みんな自分が正しい、自分の主張が正当だと言うわけです。

 それは他人から見れば、時には納得するでしょうし、時には反発を覚えることもあるでしょう。しかし社会の中で起きていることは、このように複数の正義が連立している構図なのだろうと思います。

 そして誰もが正しいし、誰もが正しくない、つまりこういった絶対的な正しさがないという状況は、実はわれわれ日本人が苦手な思考なんです。

 外国では人種や宗教、言語などが入り混じり、価値観や文化が異なって相容れないまま存在していることはよくあります。一方日本は、そういった相容れない部分もまとめて一つになりましょうという文化を持っている。しかし、これから日本人も世界に出なければならないのならば、お互いに理解しあって何かが進むということができない社会があるということを知っておくべきだと思います。

 だから「農業と食の安全」とともに、『黙示』でのもう一つの大きなテーマは、「正しさとは何か」ということです。それは小説のラストで私が提示するのではなく、読者が一人ひとり自分で考えていかなければならないことなのです。つまり私の小説は、「あなたは自分で考えていますか?」という問いかけで終わります。そして読み終わった後は、「さあ、今度はあなたの物語を始めてください」と読者に言っているのです。